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土着ワークショップvol.8 レポート後編 「民具の茶話会」

後編では、山際辰夫さんと五十嵐稔さんを交えた「民具の茶話会」対談のもようをレポートします。(前編「卵つとづくり」は、こちら

茶話会スタート

話し手:
五十嵐 稔(新潟県民具学会会長、三条市生まれの82歳)【写真向かって右】
山際 辰夫(黒埼民具保存会会長、新潟市西区在住の86歳)【写真向かって左】

聞き手:
桾沢 厚子(ブリコール)

桾沢: 今回私は「卵つと」の造形に惹かれワークショップを開いたのですが、今日は「つくる」だけでなく趣向を変え、いつも講師をしてくださる藁細工職人の山際さんと、藁細工はもちろん全国の民具について現地に足を運んで調査・記録などをなさっている五十嵐稔さんをお招きし、藁細工をメインとした民具にまつわるお話を小一時間伺いたいと思います。

<ゲストの自己紹介の後>

米俵真

桾沢: 米俵の側面に使う「桟俵(さんだわら)」。これはなぜ「さんばいし」とも呼ばれるのでしょう?

五十嵐: 「さんだわら帽子」が縮まって「さんばいし」になったんです。江南区木津の桟俵(さんばいし)神楽は、獅子の口を2つの桟俵ではさみ、顔は野菜で作っています。この地域特有の神楽ですよね。

さんばいし神楽
阿賀野川えーとこだ!流域通信より引用

この米を入れる俵、当たり前ですが、稲だけで作られます。でも、麦などはそれ自体で入れ物までは作らない。米は稲全部を使っている。それこそ稲作文化っていうのは、藁の文化とも言えるんです。藁には節があります。この先っぽが芯。芯だけを抜いて、ものを作る場合もある。藁はそのまま使うと固くて使えないんです。だから普通は叩いて使う。でも叩いた後、そのままにしておくとこわばる。叩いたら、その日のうちに使わないと固くなっちゃうので、そうなると縄も綯えない。

桾沢: よく藁仕事は冬の仕事と言われますが、それはなぜですか?
五十嵐: なぜ冬がいいかと言うと、越後の冬は湿気があります。藁はやっぱり湿気が大事なんですね。乾燥しているとプチプチ切れる。だから関東の藁は使いにくい。
桾沢: なるほど。冬の湿気が藁細工に適しているんですね。
五十嵐: そうそう。越後の藁は使いやすく、しかも冬仕事でやるのが基本。夏にもやる例はありますが、だいたいは冬の仕事。そして農家の人は朝早起きです。朝ご飯前にワラ叩きする。

桾沢: 朝食べる前にひと仕事するんですね。すごい!山際さんもいつもお早いんですよね。
山際: 私はもう2時3時起きだね。そうして、稲こき(脱穀機)で穂をみんなとってね。
五十嵐: 農家の人は、みんなそういう習慣があるから冬も早起きなんですよね。朝飯前にワラ叩きやって、ご飯食べて、縄綯いとか俵編みやむしろ織りとかをする。藁には本当にいろんな使い方があるんですよ。はざ架けした藁は、屑がいっぱい付いているでしょ。それを使いやすい(いい)部分だけとって、すぐる。熊手のようなものを使ってやるんだけど、その「ワラすぐり」のあと、叩いて使う。お手元にあるのは、柏崎市高柳町で村おこしの活動で「じょんのびだより」という機関誌を出しているのですが、その中で私が連載で書いた資料です。縄にも左縄と右縄があってね。また「ぐみ」といって、三つ編みのようにしたり、いろんな縄がある。荷縄は左縄で撚りをかけて、3本で三つ編みする。そうすると強くなるんですよ。さらに丈夫にするために、布を混ぜたりもしていました。

桾沢: 新潟の冬によく見られる雪囲い。あの縄も藁縄でしょうか?
五十嵐: そうです。あれは今ほとんど機械で綯っています。昔は手で綯っていた。それこそ昭和になってからは機械が多くなってきて、作業に使う縄はみんな機械だね。藁細工もものによっては、ワラを叩く場合と叩かない場合もある。機能に合わせて使っているんだよね。
山際: 用途によって藁は堅さ、柔らかさはみんな違うんさね。

桾沢: なるほど。ところで、今回作った卵つとのように藁で作った「つと」に煮た大豆を入れると、なぜ納豆ができるんでしょうか?
五十嵐: それは、稲藁には納豆菌がついているから。豆を熱く煮て、その豆をつとこの中にいれて、「卵つと」よりもっと大きいものでね。よく売っているつとこは、折り曲げているから小さい。三条の方は、藁束のまま大豆を入れていましたよ。そして、真ん中に「オトコ」というまじないを入れて、多少縁起のようなものがあるんだれどね。納豆そのものは正月の食べ物で、めでたいもの。昔は正月に食べていました。

山際: 俺たち農家の場合は、だいたい家庭で味噌つくったんですよ。豆を煮て、それを味噌玉にしてね。藁に包んで、軒下にだーっとかけておいてね。だいたい4月頃、味噌を仕込むんさね。あとは納豆もつくった。納豆は、納豆菌を入れていたね。
五十嵐: 三条の方は、12月25日がだいたい豆を煮る日。それは正月に納豆を食べるためでね、「25日納豆」とか呼んでました。雪の中に熱い豆を藁で包んでまとめて筵で覆って、こたつや雪の中に入れて熱が逃げないようにしてね。あとは「藁にお」に入れたり、糠(ぬか)床に入れたり、いろんな工夫をしていました。大晦日の年取りには、ちょうど納豆が食べられるようになった。
桾沢: 納豆がお正月の食べ物ってイメージは全くありませんでした。

五十嵐: 今回作った「卵つと」のように、藁には「ものを包む」役割もあるんです。壊れないように瀬戸物とかも包んでた。あと子どもが、親が農作業している時に外に飛び出ないように、「つぐら」というものの中に入れて布団を被せてた。よく昔の俳句なんかにも出てきますね。使い道は何でもあるんです。このすぐった藁でも、屑も捨てないで布団の中に入れた。そしてもちろん堆肥にもなります。

桾沢: 機械で稲を刈り取った場合、藁はどうなるんですか?
山際: 稲刈り機は収穫しながら、すぐ後ろからみんな藁が砕かれて出てくるんですよ。
桾沢: えー、砕かれてしまうんですね。

五十嵐: 藁は干す(はざ架けする)ために、ワラを束ねるのにも、そのつなぎを藁で作って束ねるんですよ。こうやって縛る時も、挿むだけでとまる。もう藁は穂先から根元まで捨てるところは何もない。言うなれば、これが「藁の文化」だと私は言えると思います。

はざ架け

ひとひら

桾沢: そうですね。先日も「藁の文化」を長年研究されている宮崎清先生にインタビューした際にも、同じお話を伺いました。その内容は、お配りした「シツライ ひとひらvol.5」にもまとめてあります。資源循環の中にある藁の存在。機械化や石油製品の登場・多様化によって、私たちは藁製品を身近に見なくなった。そういう時に、今この藁の存在が何を教えてくれるかっていうことが大事だと思うんですよね。五十嵐さんは、今後この藁がどうなっていくのか。どんなイメージもっていらっしゃいますか?

五十嵐: 稲作文化の日本ですから、藁を使う文化っていうのは、日本が世界に誇るものだと思います。これは人間の基本となる手の動きとかね、自然と子どもの時から、縄を綯ったり、いろんなことをしていると、それが身体に馴染んできて、私のように80過ぎてもこうやって縄を綯うことができるし、自然とものを結ぶとかできる。人間に身についた技術で、これを藁を使いながらやると一番残るんですよね。いろんな用途がある藁なので、それを使ってものをつくることが、人間の身体の動きの基本、技術の基本になってくると思う。だから、これは後世に受け継がれるべきものだろうということで、今日みなさんのように若い人がやって下さることは、大変ありがたいです。なかなか今、藁は捨てられる時代ですけれども、これをなくさないで、また藁そのものの良さが見直されると、今度は、稲刈りの方法とかそういうのにも、また藁を残すような工夫がされる時代がくるかもしれない。そうなってくればいいわけですから、そうなるためにも、藁は非常に大切なものであり、非常に有効な素材であることを、やっぱり稲作そのものを知らない人たちからもそういったことを知ってもらえば、機械をつくる人たちも「じゃあ、藁を残すような稲の刈り方の機械の工夫をしよう」とか収穫方法を工夫しようとか、稲作そのものも「いい藁がとれるような」稲作を工夫するということになってくればいいかなと思います。これはやっぱり日本の基本の文化、基層文化って言い方があると思いますが、それが藁の文化だと思いますので、ぜひ、今後ともこの活動を続けていただければと思います。

<KOKAJIYAの甘味をいただきながらの休憩>

今回の甘味:米粉の抹茶白玉(豆腐入り)あずき(自家製の黒蜜をかけて)

スイーツ01

スイーツ02

感想

参加者の方: 普段は、豪農の館・北方文化博物館におりまして、今日は個人的な参加だったのですが、博物館には展示物としての藁細工、民具もたくさんあって、近所のお年寄りたちがいろんなものを今も作っていらっしゃるのですが、自分ではやったことがなく、チラシの写真を見て「作ってみたいな」と思って参加しました。
山際: 実際にやってみると、またやりたくなるよね。

スイーツ休憩

<茶話会再開>

五十嵐: 「つと」っていうのは、江戸時代なんかはね、地主の家などでは、祝いのお櫃(ひつ)がありますよね。朱塗りなんかのね。でも、貧しい一般の農家ですと、お櫃がない。だから、お祝いに何かを持っていく時には、つとに餅を包んでいくといった風習があったんですよ。江戸時代、十日町の中里のあたりに、金沢瀬兵衛という江戸の武士が訪れ、その地域の事情を体験し、『越(こし)の山つと』(越後の山のお土産)っていう本を書き残したんですよ。鈴木牧之の『北越雪譜』は有名ですけど、紛争解決に来た武士が、織物のこととか藁仕事のこととか、そういうものを記した。いわゆる紀行文ですね。その中で、藁製品について書いてあって、絵もあるんです。十日町の中央印刷山内商店の山内軍平さんという方が復刻出版されたんです。「山つと」というのは、他所にものを持っていく時の包み、入れ物って意味なんですよね。実は「つと」は草冠に包む「苞」と書きます。藁の活用、同じ苞でもいろんなものがあったってことですよね。人に渡すために、綺麗な藁で包むということが、礼儀、心の表現でもあったんですよね。
山際: うち(西区木場)の方では、「つと」は「つっとこ」って呼んでいました。
五十嵐: 三条では、つとに敬称語の「つとこ」って呼んでたんですよね。

桾沢: 山際さんは長年藁細工をやってこられていますが、その藁は全部自分で手で植えて、青刈りもして全部一からご自身でやられているんですよね。
山際:いやまあ俺は農家生まれで、百姓の経験も何十年とあるんだけど、時代の移り変わりっていうか、ものすごい変わったよね。私たちの頃は、今みたいに乾田化していないんだよね。排水の便が悪い。三本鍬(くわ)で 平たい鍬も使ったりしてやってたんだよ、畝(うね)つくるのに。そういう時代の人間なんで、あまりにも農家の変わり様というかね、今の新しいトラックだとか機械が出てきて、俺たちは「田植え機だけはできないよ」と思ってたけど、それも全部機械でばばばばっーって「たいしたもんだな」って感心してますよ。

巻町双書

五十嵐:
さっきの鍬は、私も調査に関わったこの『角海浜の民具』(内藤富士男編、巻町双書27)にも載っています。それと昔の稲作の苦労は、(会場にいる「旧庄屋佐藤家の火焚きじいさん」こと)齊藤文夫さんの書かれた本に写真がいっぱい載っていますから、ぜひご覧ください。
山際: ここ(腰のあたり)まで浸かるんだよ。田んぼに。
齊藤:ただ股引(ももひき)だけはいて、ゴム長靴なんかないから、足がびりびりするんだて。寒くて。でもやっているうちに自然に足が慣れてきてね。
五十嵐:「ひゃっこーい(つめたい!)」って言いながらも、田打てねえ(田を打つ=耕す)から、中に入んなきゃいけね。それを「足が海老になる」って言ってたね。
山際:そうそう。特に秋になるとね、雨が降るでしょ。そうすると、田んぼの水が増えるんだよ。今みたいに排水機ないから、泥濘(ぬかる)むんですよ。そうすると、女の人もだって腰以上にくるんだよ。だから「かんじき」履いて、縄で編んでさ、板状になったやつ付けて、それでもまだ足の短い人は、かんじきの上に台つけるんさね。箱型の「かんじき」。

斎藤さん加わる

桾沢: そこまで、ご苦労されてでも続けている「藁仕事の楽しみ」の源って何なんでしょう?

山際さん考え中

山際: どういっていいのかのー
五十嵐: 生き方そのもの、そうしなければ生きていけない、ということだったんですよ。そこで生まれて育つんだから、逃げ出すわけにいかない。
山際: 特に亀田郷なんてひどかったんだよね。海抜ゼロ。穂も根元からは刈れなかった。中間ぐらいから刈ったんでないかな。
五十嵐:むかしの農作業の絵をみると、舟にのって稲刈りした。田植えもね。2本の太い竹竿をおいて、その上にあっがって田植えをして、先へ行く時には、両足を動かして、少しずつ進んで田植えをしていくっていうやり方の絵も残っています。今燕市になりましたが、旧分水町の牧ケ花の解良家(良寛の庇護者で有名)にそういう絵が残ってたんです。長岡の新潟県立歴史博物館に絵巻が展示してあります。私はその展示に関わっていて、立体模型にして展示してあります。昔の農作業を知るには、みなとぴあや県立博物館に行くといいですよ。米をつくり、藁をとる。そのために鎌が工夫されたり、道具がいろいろ出てくる。脱穀方法とかもね。稲作が始まった頃は、穂刈りだけで、藁を使っていなかったという説が有力だったのですが、石包丁もあってね。柏崎の別の遺跡では、弥生時代の石器で根刈りをした痕跡もあった。だから、弥生時代から藁を使ってた可能性もあったのではと今は考えられています。ただ、発掘しても出てこないわけです。

桾沢: そうですよね。三内丸山遺跡から「縄文ポシェット」と呼ばれる編みかごのようなものが出土したといわれていますが、「編む」行為そのものは縄文時代からあったわけですよね。
五十嵐: そう。藁でなくても木の樹皮を縄にするとか、似たような草を藁と同じような使い方した可能性はあって、そこから藁が出てきてという考え方もできます。まだまだ分からないこともありますけどね。

桾沢: 最後に、五十嵐さんは、なぜ民具に惹かれたのでしょう?

五十嵐さん語る

五十嵐: 三条市の市役所時代ですが、たまたま昭和45年(1970年)に、新潟県の秘境、秋山郷(長野と新潟の境界、新潟県中魚沼郡津南町と長野県下水内郡栄村とにまたがる中津川沿いの地域)に行ったんです。秋山には、信州秋山と越後秋山とがあり、信州側の人は、津南町に一度出てからでないと他所へは行けないという辺境の村だったんです。その新潟県側の民俗調査があり、オブザーバーとして参加したのですが、そこで「土地が違うと、使ういろんなものが違う」とわかったんです。風土といいますか、住んでいる土地の雪が深かったり、山があったり、腰まで浸かるような深い田んぼだったり、山の田んぼだったりと、みんなその土地土地で道具が違うんですよね。そういう民具を調べることで、歴史や文化が違ってきていることがわかる。民具からいろんなことを学ぶことができるなと思ったんです。「歴史」というと書かれたものだけが歴史だと言われるけど、「もの」は、ものを言わない。道具とか絵画とか、言葉にはならない「もの」から、歴史を知ることができる。そう実感したんですよね。そういうことが一つのきっかけだったと思います。

<参加者のみなさんの感想>
「初めて藁を使って作らせてもらったんですが、お話も聞けて、藁の大切さ、藁って便利なものなんだなと。また作ってみたいなと思いました。」
「藁を使うの初めてで、いい匂い、手触り。プラスチックにはない“あったかさ”を感じられて、素敵だなと思いました。」
「私も藁の香りと、自分で作ったときの達成感が感じられてよかったです。縄綯いは難しかったんですけど、楽しめました。」
「私が子どもの頃は、藁製品ってまだあったんですよね。だけど、触ったことがなくて。縄綯いもどうするんだったかなと。向いが農家さんですが、藁を見たことなく、どこにあるのかなと思っていました。」
「三条市が実家で、職場が先ほどの北方文化博物館で、展示にも関わらせていただいています。移築された民家が2つあり、中の展示をきれいにしたいなと思っていて、藁の魅力と可能性を感じました。若い方にも受け入れられるとわかったので、頑張りたいなと思いました。米どころ・新潟の人が、藁細工を作れなくても、作り方くらいは知っている方がかっこいいんだろうなと。これを機にまた興味を深めていきたいと思います。」
「藁を初めて触ってみて、やっぱり慣れないとかなり難しいものだなって思いました。」

コメントを聞いた後、山際さんがぽろっと「いやあ、藁づくり、米づくりってのは楽しんですよ。」とおっしゃった一言がとても印象的でした。最後は恒例の記念写真撮影で終了となりました。参加者の皆様、ゲストのお二人、そしてKOKAJIYAのスタッフ、どうもありがとうございました!

卵つと集合写真

Posted on 2015-03-05 | Posted in お知らせ, 土着ワークショップ [DWS]No Comments »